鍼灸というと、
「鍼を刺す」
「お灸で温める」
というイメージを持たれる方が多いと思います。
もちろん、それも鍼灸の一面です。
しかし、私が施術の際に考えているのは、もっと広く、
「今、この身体にはどのような刺激が必要なのか」
ということです。
強い刺激が必要なこともあれば、ごくわずかな刺激で十分なこともあります。
触れるだけの刺激、押す刺激、刺入する刺激、温熱による刺激。
身体の状態を確認しながら、場所、強さ、方法などを選びます。
大切なのは、鍼を刺すことや灸で温めることそのものではありません。
その人、その場所に適した刺激――「適刺激」を選ぶこと。
これが、私が鍼灸を行うときの基本的な考え方です。
一般には「はり」と聞くと、「針」という字を思い浮かべる方が多いでしょう。
「針」は、つくりに「十」を持ち、突き刺す道具という意味につながる文字です。
一方、鍼灸で用いるのは「鍼」です。
「鍼」は「金」と「咸」から成ります。
「咸」は単に音を表すだけではなく、「感」にも通じる刺激・感応という意味を持つものとして捉えることができます。
そこに金偏がつく。
私は「鍼」を、
金属でできた、身体に刺激を与えるための道具
という意味を持つ文字として捉えています。
ですから、鍼は必ずしも「刺す道具」ではありません。
皮膚に触れる。
押すように刺激する。
ごく浅く働きかける。
必要に応じて刺入する。
円鍼や?鍼のように、身体へ刺さずに用いる鍼もあります。
つまり、
刺すことは、鍼の使い方の一つにすぎません。
刺すか、刺さないか。
浅いか、深いか。
強いか、弱いか。
その選択もすべて、身体にどのような刺激を与えるのが適切なのかを考えた結果です。
私が「針」ではなく「鍼」という字を使うことにも、こうした意味があります。
一般的には、灸は艾(もぐさ)を用い、身体に温熱刺激を与える施術と説明されます。
確かに、温熱は灸の大切な特徴です。
しかし私にとって、灸は単に冷えた場所を温めるだけのものではありません。
東洋医学には、「補う」という考え方があります。
身体の働きが弱くなっている。
反応が乏しくなっている。
力が不足している。
そうした状態に対して灸を用い、身体の反応を引き出していく。
私は灸を、そのような「補う」ための施術として大切にしています。
現代的に説明すれば、灸には温熱を中心とした刺激という側面があります。
一方、鍼灸の考え方では、それだけでは表現しきれない「補う」という捉え方があります。
当院では、その両方の見方を持ちながら灸を用いています。
東洋医学には、「補(ほ)」と「瀉(しゃ)」という考え方があります。
少し聞き慣れない言葉かもしれませんが、これは身体に何かを足したり、何かを抜き取ったりするという意味ではありません。
「補う」とは、働きが弱くなっているところや、反応が乏しくなっているところに働きかけ、その力を助ける方向の施術です。
一方、「瀉す」とは、緊張が強いところや、反応が過剰になっているところに働きかけ、その強すぎる反応を鎮める方向の施術です。
つまり、補と瀉は、
「足りないものを助ける」
「強すぎるものを鎮める」
という、身体への働きかけの方向を表す考え方です。
私は施術を組み立てる際、大まかな方針として、
灸で補い、鍼で瀉す
と考えています。
働きが弱く、反応が乏しいところには、灸を使って身体の反応を引き出していく。
一方、緊張や張りが強い、あるいは反応が過剰になっているところには、鍼を用いてその反応を鎮める方向へ働きかける。
これが、私の基本的な補瀉の考え方です。
ただし、
「鍼なら必ず瀉す」
「灸なら必ず補う」
という機械的な決まりではありません。
実際には、目の前の身体を確認し、その反応に合わせて刺激の種類や強さを選びます。
補う必要があれば補う。
瀉す必要があれば瀉す。
そのために、鍼と灸という異なる道具を使い分けています。